QC vol.2|2月21.22日加藤政洋レクチャーレポート

22122日はQueryCruise vol.2第三回目。立命館大学文学部教員加藤政洋さんによる「都市景観のヘテロトポグラフィ」が行われた。「せんなか半径500メートル西陣のへそを歩く」と題された一日目はまちあるきを、そして最中に個々の参加者によって撮影された「あなたの思う〈京都らしい〉景観」を持ち寄り、二日目はそれらの景観をもとにしながら〈京都らしさ〉にまつわるディスカッションを行った。かつてからこれまでのあいだにものされてきた都市にまつわるテクストを読み込み、そこにある隆起をなぞり返すようなご研究を背景に加藤さんがどのようなガイドをなされ、どのように私たちがそこに反応するのかがポイントとなる、これまでとはやや異なる二日間となった。

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裏京都、という言葉がある。観光地としての「京都」がある一方、それには飽き足らない「京都通」によって発見される「ガイドブックには載っていない」マイナーな見所を言う。「京都」という確固たるイメージとその過剰な消費がもたらした観光のオルタナティヴをこの言葉は示しているように思われる。さて、では景観と町家の選択肢というテーマで行われた今回のまちあるきは一体どのようなものになったのだろうか。結論を先取りするならば、例示したような京都の「表」でも「裏」でもない、いわば「奥」のようなところをめぐるものとなったと言えるだろうか。ここで問われているのは観光という消費行動における都市の凹凸のようなものではなく、いわば京都という町が不可避的に被らざるを得なかった時間性だ。景観とは「representation」の問題であり、「イメージ」を巡る問題である一方、「再現」あるいは「代表」のそれでもある。例えば現在採られている京都市新景観政策において〈京都らしさ〉なるものと「良い景観」との間にはある緊張関係がある。誰にでも〈京都らしさ〉に準ずるイメージはある。それをどのように規定するのかに関する議論はもちろんある。しかし一番に問わなければならないのは、その〈京都らしさ〉と整合しないものはこのシステムから排除されてしまうことだ。代表の問題とはこのことである。「京都らしい景観」はある排除のもとに規定される。急いで言い添えるならば、それはそれ自体においていかなる害を持たない。しかし政策の肝に据えられ、例えば建築制限への影響を持ち始めた時、その排除は厳格な囲い込みへと転じる。そのような箇条書き的「京都らしい景観」は多くに理解されるだろう。でも、そこで排除されるものがある。実際二回目のディスカッションにおいて興味深かったのは、複数人が同じ画像を「私が〈京都らしい〉と感じる景観」として挙げる一方で、やはり相対的に見てみればその選択にはかなりのズレが存在するということだ。

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QC vol.2|加藤政洋先生へのインタビュー【後編】

QueryCruise vol.2201022122日「都市景観のヘテロトポグラフィ」を担当していただく、立命館大学文学部教員加藤政洋先生へのインタビューの様子です。専攻される人文地理学とはどのような学問なのか、そこで問題となる「空間」とはなにか、そして加藤先生ご自身のご研究テーマについても少しおうかがいしています。

前編はこちら。ではどうぞ。

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QC vol.2|加藤政洋先生へのインタビュー【前編】

kato2.jpgQueryCruise vol.2201022122日「都市景観のヘテロトポグラフィ」を担当していただく、立命館大学文学部教員加藤政洋先生へのインタビューの様子です。専攻される人文地理学とはどのような学問なのか、そこで問題となる「空間」とはなにか、そして加藤先生ご自身のご研究テーマについても少しおうかがいしています。

では前編。どうぞ。
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