rep|07 大室佑介展「迷宮の匣」afternote

これは何か?
日本においてたいていのお墓は石塔のかたちをとっている。今回展示されている「カロウト」とは、その石塔の下に納骨室として埋められる、死者を収めるための室のことを言う。「カロウト」、「カロート」、または「からと」というその名は日本語ではない。漢字にすると「唐櫃」と書く。この耳慣れない物体について、民俗学者である野本寛一が福島県は南会津に昭和の時代まで続いた、カロウトをめぐる風習についてこのように説明してくれている。
カロウトとは、縦三尺五寸・横二尺五寸・深さ二尺の箱で、大工がこれを作った。嫁入りする娘は、みなカロウトを作ってもらい、そのなかに衣類などの嫁入り道具を入れて嫁ぎ、一生この箱を使った後、自分が死んだときはそのカロウトを棺桶として埋葬してもらうという習慣があった……それは、人生儀礼の要所で重要な役割を果たした……「カロウト」は新しい生活のスタートで人生の終焉を見つめさせた。このことは人生の有限性を自覚させ、よって人生を豊かなものにさせた。
(野本寛一『生態と民俗—人と動植物の相渉譜』)
ある人が生活をともにした道具をしまう箱が、そのままその人の亡骸を収める室となる。まるで家としての役割が、死を境にそのままこのカロウトへと移っていくようだ。他方で大室佑介がここに再現したカロウトは、野本の説明するカロウトとは用途の点で同じだが、いわば「しつらえ」の点でやや異なっている。彼のカロウトにおいては、死者が生前好んでいたものや空間を、残されたものたちがその中に再現するという特徴を持っている。彼が今回行ったことは、そうした風習において行われてきた空間的操作そのものを現代に再現することであったと言える。これをもう少し詳しく説明してみよう。

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rep|「YUASA RYOSUKE / nothing and something」afternote

第5回「rep- radlab exhibition project」では、湯浅良介による「nothing and something」を紹介した。展示では独特の形をした模型が中心的になっていたのだが、彼は「オリジナリティ」のある形を目指しているわけでもなく、ここに並べられた形をそのまま表現として見せているわけでもないようだ。彼の話を聞いていると、その関心はある形が他者の想像力にどう働きかけるのかにこそある。ただ、これはファンシーな形をつくって別の人にその意味の解釈を委ねる、ということではない。むしろ彼は「他者の想像力」を自らの設計過程へとどうにか組み込もうとしているように思われるのだ。この過程についてこの場で少し考えてみたい。

 


 
さて、彼は自らの設計にあらかじめ三つの他者を含み込んでいる。「オブジェ職人」「名付け親」「ドラフトマン」、この三者によってその行程が進んでいくとした。今回「オブジェ職人」を引き受けた湯浅は、そのオブジェつまり形へ「名付け親」に名前を付けてもらう。名前が与えられればその形は内部の想定を呼ぶ。そこで彼は、そのありうべき「答え」のひとつを「ドラフトマン」にすくいとってもらう。ありえたかもしれないまた別の名前があればその内部もまた別のものになるはずで、それは形もまた然り。だからここに提示されているのは、他者の想像力を推進力にする決定群の「とある」重なりくらいでしかない。いきなり形へ晒される観者は、ありえたかもしれないまた別の他者だと言えるだろうか。

 

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rep| トラフ展「inside out / outside in」afternote

第三回「rep – radlab. exhibition project」では、トラフ建築設計事務所による「inside out / outside in」を紹介しました。 鈴野浩一と禿真哉により2004年に設立されたトラフ建築設計事務所は、建築の現場においてはもちろんのこと、インテリアデザイン、展覧会の会場構成、プロダクトデザインといった幅広い領域にわたって建築的思考を追求しています。彼らにとって重要なことは、モノや現象、あるいは空間の成り立ちから思考をはじめ、シンプルな介入を行うことによってそれらを見る私たちの「視点」そのものの更新を促すことにあります。彼らがしばしば口にする「リノベーション」という語はこうした意味においてとらえることができ、後述する通り「裏返す」という意味を持つ本展覧会のタイトルは、一方でトラフ自身の姿勢を示唆するものでもあります。

 
 
同展覧会では、2009年に発表された「空気の器」を「リノベート」した新作15点を展示いたします。一枚の薄紙に切り目というルールを与えることによってのみ成立するシンプルな、それでいて繊細な「器」。薄紙の片面に青、他面に黄を着色することによって、「空気の器」は現象としての緑を生起させました。この作品の魅力は、いわば色彩工学的な問題を空間的な問題へとうつし替えたこと、その「視点」の移行にあると言えるでしょう。

 
 
ただ、私たちにとってより興味深い点は、一枚の、普段見慣れた薄い紙が三次元化される際に生まれてくる空間形成の力学です。「現象としての緑」を引き起こした「空間を生み出す力」とでも言うべきもの。今回の「リノベーション」において問われるべきものはそこにあります。会場におかれた大きな丸テーブルの上には、パターンが印刷された薄紙があり、それが立体化した「器」があり、そしてその他「その途上」にあると言い得るものも、置かれています。薄紙の上のはっきりとした二次元的パターンから、おぼろげな三次元的「像らしきもの」への移行に従って空間が表情を変えています。さて、視線の高さや方向性を変化させるごとにうつり変わる「像らしきもの」は、果たして器の「内側」にあるのでしょうか?「外側」にあるのでしょうか?あるいは群としてあるその風景を前にす

れば?

 
 
「inside out/outside in」というタイトルは、一般的な「器」のかたちが仄めかすような「inside /outside」という静的な区分がここでは成立しないのではないかという思いからきています。先ほどトラフの姿勢を引きながら触れましたが、「inside out」「outside

in」という語のどちらもが「裏返し」という意味を持っています。この語が他方で示唆する、内が外となる/外が内となる「裏返し」という動的な状態は「内/外」という区分を想起させながらも、その関係の自明性を揺るがすことでまた別の空間性を成立させるようでもあります。おぼろげな「像らしきもの」の現れは、まさにそのプロセスの最中にあることを刻々と示していると言えるのではないでしょうか。目もあやな「器」の群を楽しむと同時に、そこにある風景の成り立ちがいかなるものであるのかへ視点を移していただくことができたときに、今回行った視点の、さらに言えば空間認識の「リノベーション」が成立するのではないかと思います。 

 
 
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