Volume #35 It’s a Human’s World

ヒューマン・ワールド
エージェン・オースターマンとブレンダン・コルミール

建築の分野ではイタチごっこが続いている。タワーの高さ比べではない―そんなことに新しさはない(ニュースにもならない)。そのイタチごっこは、どうやら建設産業における新しいテクノロジーの使い方に関するものらしい。最初は模型や小さいオブジェをつくるための、いくぶんぎこちないけど可愛い機械だと思われていたものは、今や「稼働する」ためのテストを受けている。もちろん私は3Dプリントのことを言っている。オランダ国内の少なくとも二つの建築事務所の、フルスケールの建物をプリントした最初の組織とならんとする野望。そのひとつはパビリオンを追求し、もうひとつはアムステルダムの切妻屋根仕上げの運河住宅を追求している。

3Dプリンターが、私たちが望むものを生み出す方法に革新をもたらすのか、単にまた別の選択肢を付け足すだけなのか、あるいは小規模の複合形態の領域に留まっているのか、これは予測が難しい。でも今のところ見込みはある。デザインや建設を誰にでもよりアクセスしやすいものにする、建設産業のさらなる「オープン化」のはじまりとなり得る。

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Volume#33 Domestication

ドメスティケーション
エージェン・オースターマン

原文:http://volumeproject.org/2012/10/domestication/

「戦いの場」ということについて私が話したとしたら、それを聞くあなたの頭の中に「インテリア」の言葉はあるだろうか? もし私が「誰が社会を形づくっているか?」などということを尋ねたとき、あなたは「インテリアアーキテクト」と応えるだろうか?

ほんの60年前、解放と階級教育のための戦いは私的な領域でなされていた。アパートの内側だ。今日住宅は住まい手の個性を表現するものだとされている。ただ、最近そのインテリアはイデオロギーや格差闘争のテーマとなっている。産業都市の初期段階に、西欧都市への新規参入者は市民のようにふるまうよう教育された。住宅を綺麗にし、ゴミを片付け、子どもの面倒を見て、と、要するに都市の社会的制約に従うということだ。しっかりとしたふるまいの見返りとして、公共賃貸アパートで暮らす権利が得られる。第二次世界大戦後、大事なポイントはいかにモダンライフを行うか、ということにシフトした。清潔で、健康的、そしてゆえに幸福な生活。そして質素で明るく、効率的な空間における、シンプルでよりよくデザインされたモダンな製品との生活。『Archis』のかつての号では、この課題について取り上げた。社会民主的でモダニズムの理想にインスパイアされた月刊誌『Goed Wonen(良き暮らし)』は、良きインテリアは教育と解放のプログラムの一部のようなものだ、ということを示した。

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Volume#34 Notes from the tele-present

テレプレゼントの覚え書き
エージェン・オースターマン

西欧のデザイン企業がアジアの建設市場やデザイン市場は重大なビジネスであると信じるまでに少しばかり時間がかかったし、野心、規模、そして発展の速度に直面するまでにも時間がかかった。でも今となっては彼らは事を理解し、その1兆ドルの木からいいとこ取りをしようとしている。現在西欧の住宅市場は失速しているというか、それ以上のことになってるからなおさらだ。ここのところ「東アジアへ行く」は「単に」住宅地、鉄道駅、空港、ファイバーネットワーク、排水処理場などなどを輸出するということのみならず、都市まるごとの輸出にまで拡大している。西欧は「ニュータウンを建てる」というテーマに長い間向き合ってきているわけだが、今日それはビジネスチャンスとなっている。

「Privatize!」号や「Centers Adrift」号でいくつかの転換を見てきたが、今号のVolumeではまた別の転換を取り上げたい。都市建設や都市マネジメントに関して誰が主導権を持っているのか、誰が決定しているのか、そして誰が統治しているのか、についての転換だ。

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Volume#32 Adrift

漂流
エージェン・オースターマン

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「中心地はどこですか?」という質問は観光客が都市を訪れたときに最もよく聞くものだろう。その中心というのは、何かしらがそこで行われていて、活気ある面白い生活があり、見るべきものも多く、単純に「行きたい」と思わせるようなところだ。それは観光客を「中心」に引きつける引力と(機能的な)密度の問題だ。こうした観光客的目線は都市(どんな都市でも)の理解を左右している。西欧的な「古いコアがあってだんだん拡張していった」モデルはほとんど同心円状になっていて、そこでの典型的な建物形態は居住のためのものだ。人が今自分がどこにいるかを考えるときの心理的モデルでもあるが、それは最近の歴史。「都市の中心」の象徴—3つの同心円—は更新されなければならない。新たな都市圏(例えば深圳)では、中心とか、コアとか、成長とかいう概念は欠けている。そして古いコアを持つ大都市においては、かつての空間的ヒエラルキーはその後の開発によって隠されている。都市性にあまり関連のない多くの大学があり、過密した地域があり、そうでもないところがあり、商業地域があって、産業地域があり、居住地域もあって、余暇のための地域がある。そしてそれらの様々な組み合わせもある。

私たちの心理は空間的現象としての「都市」の物理的発展に対応しているわけではない。でも、もしかしたらそうかもしれない。ランドスタッドにおけるオランダ郊外への社会学的なリサーチによれば、マイホームを持っている幸福な人たちは自分たちが周縁地域に押しやられているだなんて感じていないし、中心から排除されているとも感じていない。対照的に、彼らは自身の住む場所を中心としてとらえている。様々なインフラに容易にアクセスできるし、映画を見に行ったり飲みに行ったりといくつかの(都市の)中心にも近い。これは中心という考え方が主観的なものになっているということを示す例だ。人によって異なる。そして話はややこしくなるが、個々人は自身の社会的役割やその時々のニーズによって、その都度中心を異なってとらえるのだ。

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Volume#31 Constructive Guilt

建設的な罪

エージェン・オースターマン

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「敵に尽くすような人やものについて横柄に喋ったりすることはよくある。まあそれはいいんだけど、どんな敵にも服従するマツとモミはどうだろう? じゃあ敵が活動的になっているイメージを見てみよう。木々が背景にあり、笑いながら立っている。マツとモミだけじゃなくて他の木々もまた同じ。
これは何か語られるべきじゃない?
僕は、そうだな、と思う。というのも、木々、森の端と木々、それはまだそこにあって、かつてあったところと同じ場所にあるからだ。木々が動くなんて考えない。無関心な目撃者のようにそこにいまだ立っている。僕はそれを観察した。眺めた。それから何かものすごいことが起きた。木々は美しく、僕はそれが美しいと思った[…]敵がいた場所、敵が配された場所、敵に保護され破壊された場所、敵が恐怖におののいた場所、敵の恐怖の痕跡が見つけられるだろう場所、その美しさ。それがそこにある。美はきまりの悪いものなのだ。」
アルマンド、1988年

「罪深い景観」とは、その種の景観について繰り返し書いたオランダの画家、彫刻家、ライター、そして音楽家であるアルマンドから拝借した概念である。第二次世界大戦の以前、最中、以後とアメルスフォートに住み、その森に位置する強制収容所にほど近く、無垢な森は戦争とホロコーストの恐怖を目撃してきたのだということに彼はよく気づいていた。

先の引用が示すように、その場所の経験(そして「その種の場所」の経験)は複合的なものだ。場所の美しさは何が起こったのかという知識によって強化される。避難とリラクゼーションの場所としての自然、美と場所の経験は記憶と知識とによって複雑なものにされている。その結果、審美的な経験は罪の感覚を生み出す。そうしたシーンに審美的に感動することは許されるべきではないし、正しいこととも思えない。

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Volume#30 Infrastructure is Dead – Long Live Infrastructure

インフラ死すとも、なくならず
ブレンダン・コルミール
世界規模で迫りくるインフラ危機を受けて、道路、下水管、そして送電線を将来どうまかなっていくかに関する議論が起こっている。数年前には民営化がその解決策として歓迎されていたが、現在的な経済状況はその戦略に疑問を投げかけている。国がその資金をまかなえず、個人や私企業がそのリスクを負いたくないとき、私たちはどうすべきか? 建築家はこの議論—つまりアフォーダビリティはデザインの課題だということ—に加担している。私たちは自律的にペイするような新種のインフラをデザインできるだろうか?
世界中の国家はインフラ危機に直面している。老朽化して悪くなったインフラも、増大する人口の要求に応える十分なペースで更新されたり、取り替えられたり、改善されたりしているわけではない。時にこれはセンセーショナルで悲劇的な事件—ミネアポリスでの橋の崩壊、モントリオールの地下道へのコンクリート塊の落下、ニューオーリーンズでの嵐による堤防決壊—で明確なものとなる。しかしさらによくあることとして、それは私たちの経済、環境、そして日常生活に影響を与えるような、微妙でいて広く見られる現象—より長くなる通勤通学、更なる汚染、交通の遅延—あらゆる種の非効率性へと帰着するのだ。

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Volume #25 Roadmap 2050 A Practical Guide to a Prosperous, Low-carbon Europe

ロードマップ2050 豊かな低炭素型ヨーロッパへ向けた実践的ガイド
OMA/AMO

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2050年パワーグリッド提案

OMA/AMOは、気候変動に対する人間認識のレベルと、それへの対応の規模には反比例の関係があるということを示してきた。世界的な認識の高まりにもかかわらず、カタストロフを回避しようとする努力は、根本的な変化をというよりは、原因に対するリップサービス――形だけの「グリーン」な製品、記事、キャンペーンというような――をなしているにすぎない。世界的なコンテクストをほとんど考慮せずに、一握りのLEED【Leadership in Energy &Environmental Design】認証された建物や僅かなグリーンウォールを提示したため、建築はこうした批評を免れることができなかった。
ICL、KEMA、McKinsey&Company、E3G、Oxford Economicsとの協同によって展開された欧州気候財団【European Climate Foundation】の取り組みのひとつ、OMA/AMOのロードマップ2050は、CO2排出量を2050年までに80%減少させるという目標へヨーロッパが至る方途を示した。

 

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