Volume #36 Move That Body!

身体を動かせ!

エージェン・オースターマン

『Volume』はそれ自身批評誌である、と考えている。それは『Volume』が、生み出されたものをレビューしたり批評したりしているからではなくて、「実践としての建築」と「概念としての建築」との間に批評的な関係性を築いているからだ。今までそれで何の問題もなかった。異なった世界には異なった姿勢、その二つは決して出会うことがなく、それらはその後もずっと幸福に、それぞれで生きていた…

…というのも、かつてのカウンターカルチャーが今日の普通になるまでの話。事務所として求められていない仕事を行うこと、建築家(多くの西洋国家における、ほんの十年くらい前にあった呪い)として展開すること、ソーシャルプロジェクトを生み出すこと、建物をつくることにつながるあらゆる成果や結果の潜在力を見ること、組織をハイブリッド化しネットワーク化することは、実験や挑戦、支援や再編という新たな方法くらいのものとしてデザインを理解することであり、今日ではよくある実践になっている。実際、おそらくそれは量の問題ではなくて、メンタリティの問題なのだ。建築教育機関はこうした現実にすりあわせるために時間を割いているし、ハードコアなデザインスキルと、それと等しく求められる他の能力との間で新しいバランスを探しているのだ。

ただ、それはこの号の主題じゃない。批評性や批評の実践に対する関心は、先ほど述べたような現れつつある実践は私たちの価値に対する注意から逃れていくのだ、という実感される困難さとより関係がある。「【註:Volumeのテーマでもある】超えていくこと」は「見直すこと」ではない、のだろうか? まあ、おそらくそんなことはなくて、今がまさに、探索的でありかつ先手を打つようなアプローチと反応のよいアプローチとを結びあわせ、そのプロセスにおけるリアリティチェックを行い、またそれらを文脈化する時なのだ。

今号は「何でもあり」というテーマでもともとはじまったものの、そのニヒリスティックなニュアンスがちょっとキツいものになってしまった。【註:現行のテーマである】「批評的であるための方法」は、この号を今日における批評の潜在力やその個々の方法に関するより広いリサーチに直結させる、もっと慎み深く、もっと楽観的で中立的なオルタナティヴとなっている。

その取り組みをはじめるために、私たちはニューヨーク、ミラノ、パリ、そしてロンドンといった場所を再訪し、どこで批評の軌道が分岐しはじめるのかを見なければならない。同時に、建築批評と建築的な成果物との間の実際的な関係性が今日までどんなものだったのかを理解しなければならず、そしてどんな種類の関係性が生み出されているのかを見なければならない。その探求ははじまったばかりだ。今回私たちがお届けするのは当座のレポートであり、よくて「とっかかり」を示唆するくらいのことしかできない。でもそもそもそれは「誰も気にしないし、気にする理由もそもそもない」という思いから始まっている。というわけで、この建築と呼ばれる古い身体にバイタリティがまだあるのかを明らかにするために、私たちはできるかぎりハードに取りかからなければならない。

下訳/榊原

Volume #36 Move That Body!」への1件のフィードバック

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