rep|rep.08 福島加津也インタビュー 1 / 2

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rep.08「福島加津也|空中の水平」展開催に際し、出展者である福島加津也さんへインタビューを行いました。前後半の二回に分けてお届けします。前半部にあたる今回は「ひととなり紹介編」として福島さんのこれまでと制作に関するお話をうかがいました。

2012年1月21日:福島さんの事務所にて
聞き手:RAD



―まず福島さんが建築をはじめられたきっかけについてお話してもらえますか?
高校時代は地方のごく普通の子供だったように思います。ワイルドな空気にあこがれて、芸術系の授業はサボるのがかっこいいと勘違いしているような(笑)。高校の美術の授業は出席した記憶がほとんどないですね。だから大学で建築学科に入ったのは偶然です。入って最初に思ったのは「建築はよくわからない」ということでした。僕にとって建築は自分の感覚の延長にない、つとめて学ばないと理解できないものだな、というのが第一印象です。
建築家になろうと思ったきっかけは、芸大の大学院のときに小さな建築を実際につくったことです。研究室の仕事の一環として、岐阜県の馬籠という中仙道の宿場町に100平米くらいの休憩所を設計させてもらいました。学生でしたから知識も経験もなく、実際の仕事をするのはとても大変でした。でも工事が終わって完成した自分の建築を体験したとき、自分の建築とは思えないほど感動しました。そのときに建築家になりたいとはじめて真剣に思った気がします。建築では作者を飛び越えていくような作品をつくることができる。その後、そんな機会はまれだということがよくわかりましたが(笑)。
―その後、伊東豊雄建築設計事務所に就職されますが、そのときはどのようなプロジェクトを担当されましたか?
最初に都市博*のチームに入ったのですが、なぜか新人の僕が「ザ・リング」というメインの建築の担当になりました。リングというぐらいですから、他の施設を輪にしてとりまとめるような大きな建築です。このチームにはヨコミゾマコトさん、妹島和世さん、高橋寛+晶子さん、入江経一さん、それからクライン・ダイサムなどそうそうたるメンバーがいて、彼らと一緒にやらなければならないというすごい状況でした。
*1996年から東京台場の臨海副都心を舞台に開催予定だった「世界都市博覧会」
―今考えても大変なメンバーですが、いきなりそんなビックプロジェクトから担当したわけですね。
いきなり入った新人がそんな大事な建築を担当したわけですから、実力的にも精神的にも本当に大変でした。その代わり担当者としての様々な決定権を与えてもらっていました。
翌年には大分県のアグリカルチャーパークのコンペを担当し、その後同じ大分の野津原町役場のコンペも勝つことができました。この二つが伊東事務所でコンペから現場監理まで担当した建築です。とても貴重な経験でした。どちらもあまり伊東事務所らしくない作品ですね。当時の伊東事務所はせんだいメディアテークの設計に力を入れていたこともあって、僕はかなり自由にやらせてもらったように思います。伊東さんは若い所員にある程度任せることで、自分の表現の幅を広げようとしていたのではないでしょうか。最後にオランダにあるオフィスビルの担当になり、ロッテルダムで一年ほど海外の設計活動を経験しました。
伊東事務所ではコンペや現場監理から海外プロジェクトまで、緊張感のある時間をすごさせてもらいました。学んだことはたくさんあるのですが、一番印象に残っているのは「個人が社会を動かすことができる」という意思を強く持つことです。伊東さんは僕にいつも個人的な直観とその社会的な意味を同時に問うていたように思います。
―事務所から独立されて最初のプロジェクトはどのようなものでしたか?
伊東事務所をやめる頃にたまたま面白いコンペがあったんです。「中国木材」という木材会社が自分たちの木で事務所をつくるというもので、独立して最初のコンペで運良く最優秀賞を獲りました。民間のプロジェクトなので設計期間が短く、三ヶ月くらいしかありませんでした。しかも1,000平米を超える大きな木造ですから、申請などにも気を配らないといけない。でも時間がなくて早くつくらなければならなかったことが、結果的にはいい方向に働いたようです。アイデアをフレッシュなまま、ジェットコースターのように建築にすることができたから。この建築でたくさんの賞をいただきましたが、デザインのスピード感が持つすがすがしさも評価の一因のように思います。
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「中国木材名古屋事業所」2004 ©坂口裕康
―そのときのアイデアとは?
コンペの条件で木造であることが決められていました。当時は木という素材が今ほど注目されていなかった。むしろ手垢のついた素材として少し敬遠されるようなところもありました。そんな木の力学的な特性を生かし、小さな部材からどれだけ大きな空間をつくることができるか、という合理的なアイデアです。今回の展示にもつながっていますが、素材の特性を生かしてつくることをずっと考えていました。
―その後はどのような建築へと移行していきましたか?
僕には今まで三つしか建築作品がありません。いつも一旦原点に立ち戻って白紙の状態から考えるので、その三つを関係づけて語ることは難しい。でもがんばってやってみましょう。
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「柱と床」2008 ©鳥村鋼一

三作目の「柱と床」という住宅は、敷地が狭く予算も限られたものでした。そこで最小限のコストで最大限の容積を確保する、というシンプルなルールを設定し、そのルールを美しく力強い空間にすることに集中しました。規模的には三階建てになるので、木造では構造に制約が多すぎる。鉄骨やRCの壁式だと住宅規模ではコストがオーバーしてしまう。それでもあきらめないでスタディを進めると、
構造をRCのグリッドフレームで外壁を木下地のカーテンウォールにすると、一番大きな容積をつくれることが分かりました。最上階になる三階は構造的な負担が少ないので、木造にしてさらにコストダウンしました。極細のRCラーメンの上に木造のペントハウスが乗っかっているような構成です。
住宅として考えていたら、このアイデアは出てこなかったでしょう。住宅というイメージを一旦取り払って、どうやって最大限の容積を確保するか、というルールに置き換えたから成り立った。もしかしたら「中国木材」と「床と柱」は「合理」という視点から説明できるかもしれません。ただそれは何かが「置き換えられた合理」なんです。そうすることによって、無駄のない構成と余白のある空間をつくることができる。
—福島さんは設計活動以外にも調査や建築雑誌の編集委員をされていますが、どのような興味を持っておられるのでしょうか?
自分の制作がひとりよがりにならないためには、世界を知ることがとても重要です。そのひとつが歴史を知るということ、もうひとつは現代を知るということですね。調査は前者、編集は後者につながっている。それは世界を自分化することです。世界を自分の中に取り込みたいと思っています。頭で理解するだけではなく、現場の経験として身体感覚にすることも大切です。

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『建築雑誌』福島さんが特集の編集を担当された
左:2010年10月号「構造者の格律」
右:2011年8月号「シミュレーション・デザイン」

プロフィール
福島加津也
建築家。1968年神奈川県生まれ。武蔵工業大学を卒業後、東京藝術大学大学院を修了。伊東豊雄建築設計事務所での勤務を経て、自身の事務所を2003年に設立。建築の根源的な形式と、具体的な技術に注目し、独自の空間やデザインを生み出す。作品は建築に「中国木材名古屋事業所」「e-HOUSE」「柱と床」、家具に「鉄の椅子」などがある。

rep.08|福島加津也展 / 空中の水平
会期:2012年02月24日(金) – 03月25日(日)
時間:金曜日 – 日曜日 13:00 – 20:00
会場:radlab.(京都市中京区恵比須町531-13-3F)
アクセス:京都市バス停「河原町三条」徒歩5分、京阪電鉄「三条」駅徒歩10分
展示に際しまして、2月24日19:00からトークイベントを予定しております。

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